しかしながら、高額貨幣は、東日本は金貨(小判)が、西日本は銀貨(丁銀)が流通の基本となっており、その相場も日々変動したため、両替商などの金融業を発達した。また大量の貨幣を運ぶのを避けるため、手形取引も発達した。また、1620年(元和6年)頃から世界に先駆けて大坂(大阪)の堂島において先物取引がおこなわれていた。
経済が発展するとともに大量の物資輸送の必要が出てきたが、江戸幕府の国防政策により大きな船が作ることが出来なかったため、樽廻船による日本沿海を周回する物資流通が大きく発達した。
また寛永期を過ぎると金銀の産出に陰りが見え始めたのに対し、人口が次第に増加し経済が発展して幕府の支出が増大したため財政難に陥るようになり、金銀の備蓄も底が見え始め、1695年(元禄8年)の元禄金銀の発行を発端に出目獲得および通貨拡大のため品位を低下させる改鋳が行われるようになる。
1772年(安永元年)の南鐐二朱銀発行以降、次第に両を基軸とする、分、朱の単位をもつ計数銀貨が増加し始め、1837年(天保8年)の一分銀発行に至って、丁銀のような秤量銀貨を凌駕するようになり、銀貨は小判の通貨体系に組み込まれることになった。
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貿易は鎖国政策を布いていたために、主流は長崎の唐人屋敷における中国、出島におけるオランダとの交易であるが、対馬藩を仲介した李氏朝鮮との倭館での交易も幕府の公認を受けたものだった。抜け道もいくつか存在し、薩摩藩の支配下にあった琉球を通じた中国、東南アジアとの仲介貿易、松前藩を介したアイヌ・ロシアとの交易などがおこなわれていた。交易とは違うが、天候不順により海外へ難破した者も数名いた。例外もあるだろうが、かれらは一応に外国の手厚い保護を受け外国の知識を得て日本に帰国した。18世紀末に、ロシアに漂流しエカチェリーナ2世に謁見した大黒屋光太夫や、幕末に活躍する中浜万次郎(ジョン万次郎)もその一人である。
なお江戸幕府は唯一李氏朝鮮とは正式な国交をもっていた。